論理とは何か

論理とは何か 

 

最近論理と言う言葉をよく耳にします。論理とは何でしょうか? 次の日本語をどう思いますか? 私は昨年沖縄に行った。昨日雨が降った。 「?」っていう感じでしょう。なぜそう感じるかと言えば論理になって いないからです。「沖縄に行った」ことと「昨日雨が降った」ことには何 の関係もないのです。それをこうやっていっしょに並べるからおかしな ことになるのです。 これは少し極端な例ですが、論理とは例えばこういうことです。では もう少し込み入った論理を見て見ましょう。次の文には論理的におかし な部分があります。どこでしょうか。 私は7年間ある会社に勤めていましたが3年前に退職しました。 私は多くのリーダーと共に仕事をし、また同時に私自身リーダーとして も働きました。その経験から私が考えるリーダーの資質とはおよそ以下 のようなものです。一番大切なのは、責任ということです。私は日本企業で は責任感が最も重要であると考えます。しかし、状況が悪くなると、多 くのリーダーは責任を取ることを回避したがります。そして、職場での調和を優先するために人々はお互いを非難するのをよしとしません。作者は責任感が重要であると主張しています。第2文まではいいので す。問題は第三文 「 職場での調和を優先するために人々はお互いを非難 するのをよしとしません。」 です。職場での調和を優先することやお互 いを非難するのをよしとしないことは責任 (感)とは何の関係もないは ずです。 何の関係もないので、前の文 「 責任逃れをする 」 とつながらない (論 理の飛躍)し、またこの段落の中にこれを入れるのもおかしいというこ とになるのです。 ではもしこの文章が他の言語、例えば英語で書いてあるとしたらどう でしょうか?日本語ではおかしくても英語なら問題ないということにな るでしょうか? 英訳を見るまでもありません。日本語でおかしいのならそれを何語に (スワヒリ語でも何でも) 変換したところで、おかしな文章にしかなり ません。1足す1は3という日本語を英語に直せばやはりおかしなこと になります。1足す1は2であることは何語であっても変わらないから です。 これは少し大げさに聞こえるかもしれませんが、言ってみれば論理で す。そしてある言語で表されたある論理がおかしい (1足す1は3のよ うな )のであればそれは別の言語で表されたとしてもおかしいし、逆に ある言語で表された論理が正しいのであれば、それをどの言語に変換し たとしても正しい- 言うなれば 「 論理は言語を選ばない」- のです。 作文を添削する場合、このような論理の誤りを指摘しなくてはなりま せん。日本語で書かれていても論理がおかしいことに気づかない日本語 のネイティブ(日本人)が決して少なくないように、英語で書かれた文章 の論理がおかしいことに気づかない英語のネイティブも決して少なくな 37 いのです。 もちろん、きちんと勉強しているネイティブはわかるし、指摘できる でしょう。英語でなら。ネイティブをあたかも現人神であるかのように 思う日本人が多いように思いますが、ネイティブとは裏を返せばモノリ ンガルでしかありません。英語しかできないのです。 中には例えばフランス語が出来る人もいるでしょうが、英語圏の人が 外国語を学ぶのは極めてまれなケースでしかなく、仮にフランス語か何 か出来たとしても日本人にはまったくありがたくありません。 と言うわけで、論理がわかるネイティブは少ないし、またわかっても 英語での説明なので日本人にはわかりづらいのです。論理のわかる日本 人の英語の先生がベストです。 ③文法の誤り Aネイティブは文法を知らない これについてはすでに解説したとおりです B英語で文法説明されてもわからない ほとんどの人は英文法を英語ではなく日本語で習ったはずです。そう でないとわからないからです。文法というのはわかりにくいものです (日本語の文法は英語の文法より難しい)。日本語で説明されてもわかり にくい英文法をわざわざ英語で理解しようとする人はいないでしょう。 添削するネイティブが文法をきちんと勉強して説明できるとしても英 語でしか説明できないのですから、それを読んでも理解できないはずで す。もしそれが理解できるなら、相当な英語力の持ち主でそもそも添削 を受けていないはずです。ですから、英文法は日本語で説明するに限る のです。日本語でも難しいものなら英語で説明されては余計わからない ことにしかなりません。