「英作文の書き方」は存在しない

「英作文の書き方」は存在しない

 

  よく「 英作文の書き方 」といったタイトルの本を目にしますが、厳密 な定義の上でなら、そのようなものは存在しないと思っています。 なぜなら、もし「 英作文の書き方 」が存在するのであれば「フランス 語作文の書き」「ドイツ語作文の書き方」「中国語作文の書き方」「ロシ ア語作文の書き方」「 スワヒリ語作文の書き方」など地球上のあらゆる 言語についてその作文の書き方が存在することになりますが、言語が違 うからといって文章の書き方が違うのでしょうか? そんなことはありません。何語であっても文章の書き方は同じはずで す。文章というのは通常いくつかの段落が集まって (段落一つの場合も あり )成り立っています。各段落にはもちろんいくつかのかの文が含ま れます。 逆から説明すれば、文がいくつか集まって段落を作り、段落がいくつ か集まって文章を作るということです。まるで、分子が集まってアミノ 酸を作り、それが集まって筋肉を作り、それが集まって臓器を作り、つ いでに骨格などといっしょになって人体を形成するのと同じようなもの です。… あ、あと魂も要りますね、人間の場合は。 このようにして人体が出来ているはずですが、あるいは国によってこ の構造に違いはあるのでしょうか?ある国の人々は分子がいきなり筋肉 を作っていたり、また別のある国では筋肉と魂だけで骨格を持たないと いうことがあるのでしょうか? 外国に行ったことがないので断言できませんが多分生物学上、進化論 上、そういうことはないと思うのです。多少、色黒とか、背が高い低い、 髪の色が黒っぽい、茶色いなどの違いはあっても本質的には同じだと思 うのです。だいぶ飛んでしまいましたが(笑)、文章もそうなのです。文 があって、段落があって、文章があるのです。 これ以外のパターンがあるのなら、それはもう文章ではありません。もちろん日本語なら日本語の単語や文が使われます。スワヒリ語ならス ワヒリ語です。しかし、文章の構造は同じです。では使用される言語の 違い以外で一体何が違うかといえば、うまい文章かそうでない文章か、 これが違うのです。 上手い文章の書き方というのは存在します。それが何語であるかは、 くどいようですが、関係ありません。あるのはただひとつ文章を上手に 書く方法なのです。そして、日本語で作文が下手ならば英語でも下手と いうことになるわけです。ですから、逆説的なようですが、英語で上手 に作文するのに必要なもの、それは日本語で上手に作文する能力という ことになるのです。 英語だけやっていても絶対に英作文は上手くなりません。日本語作文 の下手な日本人が英語で上手に書けることは絶対にありえないのです。