間違いを気にしては永遠に英語は話せない

  私が東京の大学に通っていたときにたまたま英語を話す機会が訪れ、 自分でも驚くくらい上手くいったことはすでに説明しました。しかし、 実はその前の高校時代にほとんど話せなくて少々自信を喪失した事件が ありました。それについてお話します。 あれは忘れもしない高校二年生のときです。クラスの女子生徒のいと こ姉妹が遊びにきていて、うちの高校でしばらくの 間一緒に授業を受けていました。そんなある日の放課後、彼女達も交え て椅子取りゲームのようなことをやることになりました。彼女達は日本 語がわからないので、ある女子生徒が英語の成績がいい私に彼女達に説 明して欲しいと頼んだのです。 思いもよらない事態に少々不意を突かれた格好の私はあせってしまっ て、ほとんど何も話すことができません。そうこうするうちに、その女 子生徒は片言の英語と身振り手振りで彼女達に説明すると、結構意味が 通じたようで、ゲーム開始!となったのです。 ああいうやり方でも意味が通じたことが少々意外だったことと、それ 以上に「学校の英語の成績はいいのに、話せない!」というトラウマの ようなものがその後しばらく私の心に残ることになりました。 「実戦英語」に興味があるという別のクラスで友人のG君がハワイへ 英会話の習得の目的で留学することを聞かされたときには、「僕もそう しないとだめかな?」などと思ったりもしました。 それから数年経って、東京での英会話大成功事件に遭遇して「学校で 一生懸命勉強したことは無駄ではなかった」のを喜んだことは何度も話 した通りです。 しかしそれではなぜ、高校のときは話せなかったのでしょうか?この ときでも簡単な会話なら十分にこなせるだけの英語力は絶対にあったは ずなのです。答えをいいましょう。それは間違ってはいけないという考えがあったからなのです。 私は読むのも好きでしたが、文法も好きでこれについては学年で一番 という自信がありました。何しろ中学の頃から、英語の教科書の内容を 完全に理解しようと努めてきていて、文法についてわからないことはな い(もちろん教科書の範囲でですが)という状態でした。文法おたくだっ たとも言えるかもしれません。文法的に完璧であろうとしていたのです。 高2のときに初めて「実戦」で英語を使う場面になったときはこれが 災いしました。間違ってはいけない、恥であるという誤った妙なプライ ドみたいなものがあり、それで英語がまったく口から出てこなかったの です。 大学時代の例の事件のときにはなぜか「 間違ってはいけない」という 意識がなく、思ったことがすらすら口から出てきて、私自身がびっくり しました(実はこのとき高校時代の友人も一緒にいて、「いつそ んなに上手くなったの?」と驚いていましたが)。 このときなぜ 「 肩の力が抜けて」いて上手くいったのかと言えば、し ばらく英語から離れていたからだと思います。大学に入るまでは英語だ けは一生懸命やってましたが、入ってからは別のことに熱中していて、 また学部も英語とは無関係だったので、英語の勉強はほとんどやってい なかったのです。それで、「 間違ってはいけない」という一種の強迫観念 から開放されて、気楽に話せたのでしょう。 学校の英語は得意だが話せない、という人の中にはかつての私のよう な人が多いと思います。子供の頃から英語をやっていない普通の日本人 が間違わずに英語を話すというのは絶対に無理な話です。そんなこと気 にしていたら、永遠に英語は話せません。肩の力を抜いて話してみてく ださい。思った以上に上手に英語を話せるはずです。