「ネイティブの生きた英語」も幻想

「ネイティブの生きた英語」も幻想

 

よくナチュラルな英語、あるいは生きた英語、本場の英語などといっ た一見もっともな、魅惑的なキャッチフレーズを使った広告を見かけま す。しかし、これらはまったくナンセンスです。仮に 「 生きた英語 」と いうものがあれば当然 「死んだ英語 」 もあるはずで、これはどういう英 語なのでしょうか? シェークスピアの時代の英語などであれば、現在使われていないので、 そういう意味では 「死んだ英語」とすることもできるかもしれません。 しかし、こういう言い回しをする場合そのほとんどは「学校で教えら れている実際の会話では役立たない(受験)英語」という意味合いである 場合がほとんどでしょう。 しかし、私の話す英語はだいぶ前に学校で習った英語ですが、使えな いなどということはまったくありません。それどころか大いに役立って います。 また今、学校で教えられている英語もシェークスピアの時代の英語な どではなく、あくまでも現代の英語なのです。死んだ ( もう使われなく なった) 英語などでは絶対にありません。もう一つ、「 ナチュラルな英 語 」 についても考えてみましょう。一体ナチュラルな英語とはどこで使 われている英語なのでしょうか?アメリカでしょうか?イギリスでしょうか?仮にアメリカだとしたら、あの広い国のどこで話されている英語 でしょうか? 仮にニューヨークあたりだとしてもどの年代のどういう 社会的階層に属している人の話す英語なのでしょうか? このように考えるとこれが「ナチュラルな英語だ」などとは絶対に言 えないのです。つまりある人にとっては 「 ナチュラルな英語 」 であっ ても他の人にとってはそうではないのです。 分かりやすいのがアメリカとイギリス英語の違いで、アメリカ英語は アメリカン人には 「ナチュラルな英語 」 でしょうが、イギリス人にはそ うではないのです。 さらにすでに述べたようにアメリカのある人々に はナチュラルでも別の人々にはそうではないのです。 繰り返しますが例えばアメリカのある人々の英語を 「 ナチュラルな 英語 」 として仮に百パーセントマスターしたとしても、別の人々からは 「 君の英語はナチュラルではない」と言われるということです。 だから 「 ナチュラルな英語 」 にこだわっても仕方がないのです。後に 詳しく述べますが 「 ナチュラルな英語」 などではなく、「 正しい英語 」 を話せば、このように右往左往することはありません。 話はそれますが、私は愛知県で生まれ育ちました。例えば、沖縄ですね。ご存知のように沖縄 には米兵が多く、米兵と結婚する女性も少なくありません。友達のいとこ もグレーンという米兵と結婚しました。 その彼とは仲がよくいっしょにドライブに行ったものですが、彼は一 度オーストラリアに駐留したことがあると言っていました。彼はオース トラリア人の英語はよくわからなかったとも言っていました(笑)。確か にオーストラリア英語は癖が強く、例外なのかもしれませんがそれでも このように同じ英語でも違う部分が結構あるのです。では一体何を基準 にすれば、どのような英語を話せば通じるのでしょうか? ずばりそれは生きた英語などといったあいまいなものではなく標準的 な英語でしょう。地域などは違っても英語が英語である以上必ず共通す るところはあるはずで無論共通する部分の方が多いのです。 この共通する部分とは文法なのです (若干の違いはありますが)。し たがって文法的に正しければ意味が通じることになります。実際のスピー キングでは文法的に完璧に正しいというのはまず不可能ですが、それで もある程度は正しく話すことを心がけるべきです。あまりに不正確だと 相手に伝わらない可能性があるからです。 英作文をする時でもナチュラルな英語などというあいまいなものを目 標にするのではなく文法的に正確な文章を心がけるべきです。そうすれ ばきちんと意味が伝わります。ちなみに私個人はこれまで結構外国人 (ネイティブ、ノンネイティブを問わず)と英語でやりとりをしたことが ありますが私の英語がわからないというようなことはありませんでした。 それは私が生きた英語などというあいまいなものではなく (文法的に) 正しい英語を話していたからなのです。